夢を叶えるオーディション

デモテープの審査の厳しさ

プロミュージシャンを志すためのオーディションの最初の関門は、「デモテープ」と呼ばれる「音源」による審査です。今でこそ「テープ」の音源などは作ること自体が困難ですが、昔はアマチュアの音源といえば「テープ」が主流だったものです。そして「デモ」とは「試験的な」という意味合いを含んでいます。あまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、10年も音楽を続けているような人であれば馴染みのある言葉です。
ミュージシャンを募るオーディションの場合、この「デモテープ」に相当するデモ音源を複数の担当者が実際に聴いて審査します。この際、担当者が再生する曲数は膨大なものになります。とても一曲まるごと再生するようなことはないのです。30秒も聴いてくれればいい方だと考えましょう。想像してみてください。ジャンルもバラバラで、技術もバラバラな膨大の音源を再生するのです。その中から「これは良い」というようなアーティストを見つけなければいけないのです。状況によっては担当者にとっての「拷問」のようなものです。
そのような中で、少しの配慮が明暗を分けることになるかもしれません。例えば、「歌手」を発掘しているようなオーディションでは、担当者は応募者の「歌」を聴かざるを得ません。そのような審査に「イントロが無駄に長い曲」で応募しては喧嘩を売っているようなものです。例えば、「歌から始まる曲」であれば、審査もスムーズになるのです。そのような配慮は「聴く人に対する配慮」ということになります。「得意な歌がイントロが長い」というのであれば、編曲するくらいのことをしたいものです。聴いてもらえる状況を考えないということは、「自分本位」だということです。プロになるということは、その音楽にたくさんの人が関わります。それら関わる人たちでさえ「置いていく」ような音楽をどうやって商品にすればいいのでしょうか。そこまで深く考えすぎる必要はないのですが、少しは察しておきたいことでもあります。
心地よく聴いてもらえるように工夫することは、演奏者側の心得でもあるといえます。ノイズや雑音がひどい音源などはもっての他ですし、ボリュームが小さすぎる音源もいけません。録音する技術が足りないのであれば、レコーディングスタジオを借りるなどして体裁を整えましょう。「オーディションだから」という甘えは相手に対して失礼だということを理解しましょう。「デモテープだから」という理由でクオリティが低いのは、これはまた「甘え」になります。ある程度差し引いて審査するにしても、「限界」があります。
そのような配慮の有無が人柄や人間性を推し量る材料にもなります。それらのことが出来ていないような人は、会って話したいとも思わないのです。審査に合格するかどうかは「確率」の問題ではなく、ダメな人はずっとダメなのです。どんなに自信があっても、どんなに派手な資料を用意しても、肝心な音源に配慮がなければ話になりません。どのような仕事も人間関係が大切ですが、とくにミュージシャンほどそれが顕著な仕事はないのではないでしょうか。「自分本位」が「個性」とはならないのです。審査員に対する配慮を、音源の中で行うようにしましょう。

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